覚醒(4)

 ――黒恵、わたし、生きてるわ。

 だから、目を開けて! わたしを見て!――

 

 環子!?――環子の声がする。環子が呼んでる!?

 

 どくんどくんと確かな鼓動を感じ、うっすらと目を開けた。

 なにがどうして今ここにいるのか。

 脈打つ鼓動、環子の気配。それがどこから感じ取れるのか探そうと、黒恵は頭を起こした。

 モヤが晴れていくように、頭が徐々にはっきりしてくる。

 まだ視界に環子の姿を捉えることが出来ない。でも、気配を感じる。とても近くに。

 

 ――黒恵、こっちよ。

 

 じっと目を凝らす先に、丸く光るモノがある。その中に浮かぶ、水晶のカケラ。

 

 あれって、環子が拾い上げたカケラだよなぁ。

 

 胸元に大事そうにしまい込んでいたモノだから、なくしたら困るだろうと手を伸ばす。掴めたと思ったらもう少し先で空振りした。

 もうちょっと、とぐっと手を伸ばし、今度こそ掴み取る。水晶のカケラと――華奢な手も。

「――捕まえた、黒恵」

「えっ? 環子?」

 ぐいっと引っ張られ、黒恵はバランスを崩した。

「わっ、待って!」

 ぐるりと目が回る。軽く衝撃があって、自分が落ちたのだと悟った。でも、頭がとても柔らかいモノの上に置かれている。

 

 なんだこれ?

 

「……い……痛い……」

「痛い? なに!? え? ……環子!?」

 目を開けたら、白いレースに縁取られた白い肌があった。慌てて上半身を起こすと、それが環子であることが分かって、更に慌てた。

 環子の下敷きになって、青嗣が仰向けになっている。その腕が黒恵の腕を掴んでいた。そして黒恵の右手と環子の右手が握られている。

 とにかく急いで環子から飛びのいた。手が離れた時、ぽとりと“カケラ”が零れ落ち、それを拾い上げる。

 不思議な感覚だった。暖かくて懐かしいような気配が、“カケラ”から伝わってきたのだ。

 

 ――この感じ、知ってる?

 

 しげしげと見つめていると、傍に来た朱李も一緒にソレを見つめた。怪訝そうな顔をしている。

「ソレ……今は何も感じませんか」

「うーん、暖かくて心地いい気が流れ込んでくる感じ」

 いつまでも持っていたいような気になる。

 でも、青嗣に抱き起こされ、咳き込んでいる環子に気づいて、彼女に差し出した。

「……ありがと」

 環子は“カケラ”を両手に包んで胸に引き寄せる。

「大事なモノなんだ?」

 黒恵を見上げて、わずかに微笑む。

「そう――わたしが生まれた時、この“カケラ”を手に握っていたんですって。だからわたしの一部……みたいなもの」

 そんな環子を見下ろして、やはり朱李は怪訝な顔をした。

 

 環子の大事な“カケラ”が、なぜあのヘンテコリンな水晶球に埋め込まれていたのだろう。

 

 分からない事だらけで首を捻る黒恵は知らないことだが、あれほど吹き荒れていた風も雨もすっかり止んでいた。

 月齢12日の月が、雲間から顔を覗かせている。

「とりあえずここから脱出しよう。長居は無用だ」

 長兄が言う。確かにその通りだと立ち上がる。まだ少しふらふらするが、歩けないこともない。

「黒恵、歩けそうもないならおぶってやるぞ」

「い、いいよ!」

 照れてぶっきらぼうに言い放つ。

 朱李と真白にも目で合図して、さあ行こうとしたら環子が後ずさりし始めた。

「環子ちゃん?」

「わたしは別ルートで帰るから」

「なに言ってるんです!? 怪我してるんだし、手当てをしないと」

「この程度なら平気」

 頑なな環子に、朱李は自分のジャケットを脱いで着せ掛け、有無を言わせずに抱き上げた。

「問答無用、行きますよ」

「ちょっと朱李! 降ろしてよ!」

「だめです」

 じろりと睨まれ、環子は反撃に口を開いたまま言葉もなくぱくぱくしている。

「じゃー行くよ」

 真白が先頭きって走り出す。高くそびえるコンクリートの塀めがけて。

 その時、どたばたと入り乱れる足音が屋敷内で起こった。足を止めて振り返ると、壊れた外壁から少し様子が見えた。護衛の男や例の秘書が慌てて駆け回っている。

 屋敷から少し離れていたため、何を騒いでいるのか分からないが、この隙に脱出するべきだろう。後日、何らかの報復があるかもしれないが、それはその時に対策を考えようと青嗣は割り切った。

 今度こそ出口に向かって駆け出す、その背後で銃声がこだました。とっさに全員身を低くして辺りを窺う。

「……屋敷の中からだよ」

 真白が言うのに、環子が頷く。

「そのようね」

 ガラスの瞳が月を見上げている。その表情に朱李は眉をひそめた。

 

 

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 内藤家に仕えるものは、この日は全くの厄日だったに違いない。

 

 汚職の発覚で、財務事務次官は更迭となったが、すでに天下り先が決まっていた。ほとぼりが冷めた頃、とある銀行の頭取に収まる予定で、内藤家としては安泰だった。

 そこにささやかれた“死神”の噂。関係者が次々と死亡している事実。身の危険をひしひしと感じて、傲乃兄弟に助けを求めることになったのだ。

 その兄弟たちのことを教えてくれたのは、“ジョカ”の配下で“ジンノ”という男だった。

 それなのに兄弟たちには拒絶され、追い詰めた先の物置部屋は爆発し、近くにいた者たちは重傷を負った。

 外はいきなり暴風と雷雨で、破壊された家屋のいたるところから雨風が侵入し、外に洩れてはまずい書類が風に舞い、回収にてんやわんや。その上、主人が魂を抜かれたかのように、フラフラとどこかへ消えてしまうという状況。

 第一秘書が懸命に指示を飛ばすが、異常な現状にみんな冷静さを失っていた。指示も的確さを欠いていた。

 ボディガードの一人が、ようやく内藤を確保してきたものの、呆然とした主人は何一つ命令を下すことなく、窓の外を眺めているばかり。

 嵐がようやく収まったのが分かったのは、内藤の言葉でだった。

「……雲が切れた。ああ、月が出ているな」

 秘書はそれで外を伺って、本当だと頷いた。

 そういえば、傲乃兄弟たちはどうなったのだろうか。爆発した部屋にいたのだから、遺体は無残なことになっているだろう。

 彼は兄弟たちが死んでいるだろうと疑わなかった。彼にも、ボディガードたちにも、霊力を感じ取る能力がなかった。

 それにもう一人の人物の所在が知れないことにも、ようやく気づいた。

「次官、竜樹のお嬢様はどちらに……」

 主人を振り返った秘書は、己の見た光景に血の気が引く。

「 次官!」

 内藤は、自身のこめかみに銃を突きつけていた。硬直する秘書とボディガードたち。

 彼らが動くに動けない中、内藤は恐怖心を浮かべることもなく、あっという間に引き金を引き、人生の幕を降ろした。