朱李

 環子(たまこ)がそのクラブハウスに立ち寄ったのは、ほんの気まぐれだった。

 

 羽織っていたコートを座席に投げかけ、一人グラスを傾けていると、自覚のない獲物たちが話しかけてきた。

「ね~、キミ一人? こんな所でつまんなくない?」

 三人連れのほどほどの見栄えの青年たちが、環子の許しも得ず勝手に左右の席につく。

 

 くすり――。

 

「ちょうど暇だったの。ねぇ、お兄さんたちの誰か一人、付き合ってくれない?」

 その言葉に厭らしい笑みを浮かべて、三人の青年は互いに顔を見合わせる。

「一人なんていわずに、みんなで行こうよ。楽しいよ~」

 そうくると思っていたので、環子は三人に順繰り視線を向け、とある一人に定めた。

「あなたがいいな」

 そう言って、その男の胸に手を当てる。

 迫られた当人はどぎまぎしている。何せ、環子はそんじょそこらでは見かけたことが無いほどの美少女だったから。

「そ……そうだなぁ、そうしよっか」

 ころりと方針を変え、顔を赤らめて同意する男に、残された二人は一瞬絶句し、次いで裏切りに怒り出したが、男はもはや聞いていなかった。

「こいつら無視して、さぁ、行こうか」

 早速席を立ち、環子の肩を抱き寄せる。

 無視された仲間が色めきたち、同士だったはずの男に掴みかかった。

 ――が、何者かがその手をさえぎった。

 無造作に成人男性二人の腕をひねり上げ、環子たちを冷ややかに見つめる者は、クラブハウスの制服を着ていた。

「お客様、店内での乱闘は他のお客様に迷惑です」

 冷淡な微笑を向けられ、三人組は怒り出すどころか、逆にその青年に一瞬見とれた。

 

 ――彼があまりに美しかったから。

 

 男たちが間抜け面をさらしている間に、青年が四人を店外に連れ出す。

 そこでようやく我に返った三人組は「こ……この野郎!!」とセオリー通りに殴りかかったが、2秒と経たずに全滅した。

 ほんのちょっと青年が後頭部を手刀ではたいただけで気絶してしまったのである。

 倒れ伏した男たちに目も向けず、苦虫を噛み潰したような顔で環子は美貌の青年を睨む。

「――あなたがいるんだと分かっていたら来なかったのに」

「それはそれは」

 青年は肩をすくめる。気障な仕草が似合うだけに腹が立つ。

「僕がここでバイトを始めてから半年は経つんですけどね。調査不足じゃないですか?」

 整いすぎた美貌にふさわしい冷ややかな視線と声に、環子の機嫌は悪くなる一方だ。

「どうして邪魔したのよ! ……またねぐらを探さないといけないじゃない」

 後半はぶつぶつと独り言のように言ったのだが、彼にはちゃんと聞こえていた。

「――もう僕はバイト上がる時間なんです。だから待ってて下さい」

「どうして待たなきゃならないのよ!」

 ぷいとそっぽを向いた環子の顔を、美青年は両手で優しく挟んで正面を向けさせ、それは美しい笑みを浮かべた。

「い・い・か・ら! 待ってて下さいね!!」

 強く言い、環子の手を掴んで、従業員休憩室に強引に連れて行った。

 

 ぶすっとした環子を置いて、先ほどの顛末を店長に報告しに行った彼は、すぐに取って返す。目を放した隙に、環子が消えていなくなることを恐れたかのように。

 環子自身逃げたかったのだが、こんな何時人目に付くか分からない場所での空間移動はリスクが高いので避けたのだ。

 

 むくれた環子を連れて青年は夜の街に歩き出す。

 彼はその間終始無言で、長い脚をさっさと動かしていくスピードに、環子は小走りになった。

 赤みの強い茶髪に、東洋人離れした白磁の肌。長身ではあるが細身のその何処に、大の男を軽々捻りあげる力があるのか。この辺りのチンピラで彼に絡む者はいない。

 その彼が勢い込んで向かう先は如何わしい色彩を放つホテル街。適当に決めてどんどん入っていく彼に、環子はただただ唖然とするばかり。

「ちょ……ちょっと!」

 顔の見えないカウンターで鍵を受け取り、ずんずん環子を引っ張って部屋に押し込めると、間髪入れずにベットに突き倒す。

 こんなホテルならではの総鏡張り。天井の鏡の驚いた顔と視線が合う。

 環子はさっと身体を引き起こして隅に避難するが、行く手を彼の腕に遮られた。

「どうして逃げるんです? さっきは見も知らぬ男とそうしようとしていたのに」

「朱李(しゅり)!!」

「ええ、今晩の寝床くらい提供しますよ、身体と引き換えに」

「――――――――――――っっ!」

 悲鳴にならない悲鳴を上げて、覆いかぶさってくる朱李から逃げるために、環子は身体を固くした。両腕を胸に引き寄せ、膝を曲げ顔をうずめて丸くなる。よく見れば、その身体は微かに震えていた。完全なる拒絶。

 しばしじっと彼女のその様子を眺めてから、朱李は息を吐いた。

「――冗談ですよ。全く……そんなに嫌ならどうしてあんなマネをするんです?」

 恐々と、ようやく顔を上げた環子の、その何ともいえない頼りなげな表情を見て、朱李は後悔した。

「…………別に、セックスしたくて誘ったんじゃないわ。眠る場所が欲しかっただけよ」

 か細い声が答えた。

「――そんなこと、出来るわけないでしょう」

 つい、朱李は呆れた口調になるが、それには少々むきになった環子が反論する。

「出来るわよ! 相手には幸せな夢を見る暗示を掛けて、眠らせればいいだけだもの。……こんな場所にいる方が見つかりにくいのよ……」

「誰に?」と朱李は尋ねたが、それに対しての答えは無かった。

 確かに異能の“力”を使って意のままに相手を眠らせることは、環子には出来るのだろう。しかし――。

 

 はぁとため息を一つ付き、朱李は環子の隣に腰掛ける。生憎隅にいたので、環子にもう逃げる余地は無かった。

「自分のマンションがあるでしょう。どうしてそこに帰らないんです?」

 環子は一人暮らしだ。ひょんなことで以前一度訪ねた事があったが……

「あの部屋で眠れるなら、最初からこんなマネ、しちゃいないわ」

 几帳面な朱李が顔をしかめた部屋は、まるで空き巣が無遠慮に荒らしまわったかのような有様だった。環子が片付け下手ということを差し引いても散らかり放題だったのは、本当に家捜しされたあとだったのだ。

「監視に盗聴、挙句は家捜しされるし……あそこには着替えを取りに行ったりする時ぐらいしか帰らない」

 誰がそんなマネをしているのか、何故そんなことをされているのか、訊ねても答えは無かった。ここで繰り返しでも無駄なことは先ほどの件でも分かっていた。しかたなく朱李は別なことを言った。

「それでいつもこんなマネを?」

 そっぽを向く環子は無言だが、それがかえって肯定を意味した。

「やれやれ、自分を大事にしにないにもほどがありますよ。……いっそ、ウチに来ますか?」

「―――冗談でしょ」

 眉をひそめて苦笑する環子に、朱李も苦笑を返す。

 

 今年の初秋、妹のクラスメイトとして知り合った環子は、常人離れしていた。特殊な能力があるのだ。それは自分たち兄弟も同じ。

 “同類”だ――はっきりしたその時、更なる興味を惹かれた。ただ、性格は未だにつかめていない。

 強気かと思えば、屈託なく明るかったり、今のようにしおらしくなったり。

 

 ――全く謎に満ちている。

 

 環子の柔らかなウェーブの長い髪を一房指に絡め玩ぶ。

「――折角ですから今晩は付き合いますよ。僕がソファで寝ますから、ベッドを使って下さい」

 朱李の提案に、環子は感情の読み取れない瞳で見つめ返す。

 ガラスのような瞳――環子が時々見せる表情だ。

「付き合うこと無いわ。兄弟が心配しているわよ」

「子供じゃあるまいし。連絡はしますが」

「……もしかして、またわたしがナンパしに行くと疑っているんでしょ! ご心配なく。寝床を確保したのにわざわざ出歩かないわ」

「そうですか、それはよかった。それじゃあ遠慮なく一緒にいて下さい」

 くすりと笑むと、環子は苦々しげにまたそっぽを向く。

「…………ソファでいい。というかソファがいい。ベッドは気が淀んでて気持ち悪いから」

 そして何もない虚空を見る。

 

 ――ああ、猫みたいなんですね。

 

 猫や子供が何も無い空間をじっと見る、それと同じような行動をしばしば見せる環子。その気性もどこか猫を連想させる。

 何と言うか、……そう、血統書付きの野良猫。

 言い得て妙だと微笑する朱李を、環子は訝しげに見返した。