内藤邸

 屋敷の中では家人が右往左往していた。

 古くから高級官僚や大臣を輩出してきた家柄だけあって、格式のある家屋には数百万単位の家具や調度がそこかしこに配置されている。

 主人である財務事務次官、内藤正義(まさよし)の名の由来は、まさに“正義(せいぎ)”を貫き行えるような人物に、と命名された。

 ――が、よく言う話で、名前負けの人生をまっしぐらに突き進んでいる。

 “セイギ”の人は、人一倍狼狽していたが、それを悟られまいと声を張り上げる。

「どういうことだ! なぜここにあの兄弟がやってくるんだ!」

「そ、それは分かりませんが……」

 私設第一秘書にも分からぬ展開で、常なら滑らかな口も言葉に窮していた。

「埠頭に呼びつけて捕らえてくるはずじゃなかったのか!? いったい何をやっているんだ!!」

「はぁ、その段取りでしたが」

 そのために文書を届けておいた。妹というエサをぶら下げて。

 匿名にしていたので情報は文書だけしかないはずなのに、ここに押し掛けて来るとは。

 もしかしたら内通者がいて、情報が漏れているのか?

「それになんだ“あれ”は!!」

「あれは……と申されますと?」

「“娘”を攫ってこいといったのに、なんで“男”なんだ!」

 秘書は冷や汗をぬぐい、更に顔を困惑に歪めた。

「……男のかっこうをしておりますが、あれでも娘に間違いないようです」

 実に紛らわしいことこの上ないターゲットの娘は、男子学生の制服を着ており、男言葉を話す。

 それを思い浮かべて、頼りない回答をする秘書に、内藤の苛立ちは募る。

 しかし――

( いや、こっちには人質がいるんだ。それさえあれば返って好都合じゃないか、手間が省ける)

 ようやく思考を切り替えて、失墜しかけた威厳を取り繕う。

「とにかく、来てしまったんなら招こうじゃないか」

「次官!?」

「こちらには“切り札”がある」

 はっと秘書は顔を上げた。

「そうとも。とっておきの“切り札”がな」

 不敵に笑ったつもりの内藤の顔は、たんに唇を歪めているだけにしか他人には見えなかった。

 

 

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 黒いショートヘアの少年が、布張りの椅子に縛り付けられていた。

 少年は頭をうなだれ、意識があるのかどうか、傍からは窺えない。

 でも、少年の意識はかろうじてあった。

 

 ――なんで抵抗できなかったかな。

 

 車に押し込まれようとした時、確実に相手の男たちを倒した。

 三人目を殴り倒した後、どうしたわけか身体の力が抜けてしまった。

 

 ――そこが解んないんだよなぁ。

 

 身体に力が入らないだけでなく、意識もモウロウとしてしまったのだ。

 それでも、と少年は思う。

 

 ――環子がいなくて良かった。

 

 巻き込まれずに済んだから。

 目を見張るほど美しく、それでいて茶目っ気がある少女が好きだった。

 少女が時折見せる、物憂げな眼差しも気がかりでならない。

 そんな彼女を危険な目に遭わせずに済んだことに安心して、微かに笑みを浮かべた。

 

 この様子を窓の外から窺う人影が一つ。

 コツンと窓ガラスを叩いてみても、少年に動きはない。

 少年が縛り付けられている椅子の傍にはサイドテーブルがあり、その上には小さな水晶球らしきものが置かれていた。

「――黒恵」

 呼んでも聞こえないのか、意識がないのか、やはり身動き一つしない。

 

 人影は諦めたように、まもなく姿を消した。