傲乃家

「……それで、連れ帰ってきたのか」

 帰宅した青嗣が弟と妹、それに環子を目の前に、多少呆れてつぶやいた。

「込み入った話をするなら家の方がいいでしょうから」

「見たことがない車があると思ったら、環子ちゃんのだったんだ」

 環子の愛車は小型のベンツ。色はアイボリーで、意外というか、らしいというかよく分からない。

「逃げようと思えばいつだってテレポートできるのに、嫌々ながらもここにいるということは話してくれる気になったんでしょう」

 以前、朱李は環子に瞬間移動で逃げられた経験がある。テレポートできるのに、今日はしなかった。

 そうですよね、と朱李は環子の顔を覗きこむ。

 環子はすぐにそっぽを向いた。そしたら今度は黒恵と向かい合わせになる。

 そんな様子を見つめていた青嗣は、くすりと笑みを浮かべた。

「俺たちに色々話すと、“誰か”にキミが叱られるんじゃないのかい?」

 環子はちらりと青嗣を伺う。

「……あなたたちは“おばば様”の被害者なんだから、事情を知る権利はあると思うのよ。それに……わたしがあなた方に話すことは“おばば様”もたぶん承知しているわ」

「あっ、あの時のデンワ」

 くつりと哂う環子がなぜか哀しい。

「了承済みなのに、何で抵抗するんですか!?」

 連れ帰る時、ちょっと環子が暴れたらしい。それで怪我を負うような朱李ではないが、どうにも腑に落ちない。

 

 環子の行動には矛盾が多いのだ。

 逃げ隠れする必要があるなら、そもそも偽名を使うだろう。だが、環子はどこにでも本名を名乗っている。

 大学はもちろん、高校への潜入も、祖父母たちにも“竜樹環子”を名乗っていた。だから朱李は在籍する大学を特定できたのだ。

 偽りだけではない、本当の彼女が見え隠れしている。

 

「わたしがあなたたちのそばに在ることがイヤなのよ」

「……嫌われてんだ」

 隣で寂しそうにつぶやく黒恵に、環子はぱっと首を振りかけて止めた。

「わたしは……薄汚れた裏社会を歩く者。あなたたちはまっとうに明るい世界を生きている。住む世界が違うのよ」

「なんだよ、それ」

 眉をひそめる黒恵に、環子は微笑む。

 

「自分がした行いの報いをいつか受ける。いつ、誰に殺されても文句を言えないのよ」

 

 環子はそう言いかけて止めた。

 彼らのそばにいたくないと言いながら、嫌われることをどこかで恐れている、そんな自分の気持ちに気づいたから。

「“おばば様”は竜樹家の当主。わたしは直系の親族というだけで、愛情がある訳じゃない。弱肉強食の関係、隙を見せればとって食われる。ジンノもね」

「彼も親族?」

 ふっと環子は口元をゆがめた。

「――あいつが一番近い親戚」

「両親は? いないって、前に朱李から聞いたけど」

 青嗣が難しそうな顔で確認するのに、環子はそうだと頷く。そして、ぱっと笑顔を浮かべた。

「わたしのコトはいいじゃない。“おばば様”のコトを知りたいんでしょう?」

 急に明るく振舞う環子の腕を掴み、黒恵は怒りの目を向ける。口を開こうとしたとき、声変り前の少年の声が割って入った。

「“オババサマ”なんてどうでもいいよ。ぼくたちは環子ちゃんのコトを知りたいんだ」

 今までの経験上、傲乃兄弟を狙うヤカラの目的は、たいていロクでもないから今更だ。

 黒恵が言おうとしたセリフを脇から奪った犯人は、お玉を片手に台所から顔を覗かせていた。

「ねぇ、ご飯出来たよ! 今日はカレー鍋、ラーメン入り。環子ちゃんも食べてくよね?てゆーか泊まってく?」

 本日の炊事係りは真白で、さっきから台所に篭っていたのだ。それでも真白は話を聞き取っているだろう。

「――真白のヤミ鍋が、環子ちゃんのクチに合えばだけど」

「ヤミナベじゃないよ! ちゃんと食べられるモノしか入れてないもん」

 心外だと腰に手を当て、お玉を振り回す。

 青嗣は苦笑しながら、環子の背中を押し出し、食卓へといざなう。その時小声で語りだした。

「じいちゃんの話で俺も思い出したんだ。ばあちゃんがタマコという女の子の話をしていたって。あの“タマコ”とキミを結び付けなかったのはうかつだったな」

 はっとした環子の気配が、背中を押す手に伝わってきた。

「キミが本名で俺たちの前に姿を現したのは、もしかして覚えているか試したかったからかい?」

 環子は背後の青嗣を一瞥した。

「わたしは自分の名前を偽ったことはないわ」

 妙なところで正直者の環子。

「……むかし、縁側の塀のところに大きな松の木があったじゃない? あの松の木に登って様子を窺ってたの」

 その松の木は、祖母が亡くなった日、落雷で燃えてしまい、伐採して今はもうない。

「あなたたち四人が外に遊びに行くのを見計らって、辰江さんを時々訪ねていたのよ」

 昔を懐かしむように、遠くを見つめる環子を、青嗣はそっと椅子に座らせた。

 後ろからやってきて席に着いた朱李は、環子の顔をじっと見つめた。そして――

「――昔、一度、僕と会いましたよね」

 いきなり朱李が言い出した。

 この件は青嗣は初耳で、驚いて弟を振り返る。

 黒恵は、じっちゃんの記憶は確かだったと頷いた。

 言われた環子自身は、驚いて朱李を凝視する。

「……覚えてないと思っていたんだけど」

「そうですね、すっかり記憶から抜けてました。――あの“カケラ”を見るまで」

「カフェでは覚えてないような口ぶりだったじゃない」

 朱李は微笑む。

「僕は会っていましたが、兄さんたちは会っていないですからね。だから“僕たち”全員のことを知っていたのか、という意味だったんです」

「……まぎらわしい」

 ぼそりと言った環子に、朱李は今度、苦笑を返した。

「すみませんねぇ。でも言ってくれたらよかったのに」

 環子は視線を逸らす。

 

 あの頃はまだ、わたしはあなたたちに顔向けできてた。

 でも――今はもう……

 

「いつ、会ってたんだ?」

 青嗣が朱李に訊くと、そうですね、とあらましを話し始める。

 

 環子自身も、その当時を思い起こした。