事件(2)

 傲乃兄弟三人は、邸内に招かれていた。

 彼らの目の前には、小柄で冴えない容姿の男が、せいぜい威厳を張り付かせてソファに収まっている。

 ソファはおそらく高級(たかい)のだろうな、と青嗣は思うがそれだけだ。

 金回りはかなりよさそうである。着ているスーツも青嗣の月給より高いかもしれない。

 その男の隣には、中肉中背の中年の男が畏まっていた。

「それでどうでしょう、内藤氏を暗殺者から守っていただけますか?」

 低姿勢な言葉運びだが、現状を考えれば慇懃無礼に他ならない。

 第一秘書の問い掛けに応えがないので、内藤が駄目押しの一言を付け加える。

「謝礼は出すぞ」

 人に物を頼む態度と言葉遣いから遠く離れた言い草だ。

 青嗣は軽く息を吐く。

「――妹はどこですか」

 静かな声音だが、ごまかしを許さない強さがある。

 どことなく腰が引けたような秘書が、

「別室で待ってもらっています」と答えたが、視線が泳いでいる。

「そ、それでどうだ? やるのかやらないのか!?」

 内藤がじれて声を強めた。傲乃兄弟が揃って、内藤をじろりと睨む。

「わたしたちはプロの護衛ではありませんし、謝礼を受け取ってそのような仕事を請け負うことなど出来ません。ですから、妹を連れて帰らせていただきます」

 青嗣としては、これが精一杯の常識的な回答だった。

 いつもなら皮肉な舌鋒を繰り広げる朱李が無言でいるので、これも気が気ではない。これ以上の非礼な発言があれば、この弟は言葉ではなく実力行使に出るだろうから。

 青嗣にしたところで、そろそろ我慢も限界に近づいていた。

 たぶん、三人の中で一番冷静なのは真白かもしれない。

 朱李の上着の裾をそっと掴んでいるのをみて、「珍しくも怖がってるのか?」と最初思ったが、わずかに上気した頬ときらきらした大きな瞳を見て、思い違いに気づく。

(沸騰寸前の朱李を止めるためか)

 おかげで青嗣は少し気持ちに余裕が出来た。

「まぁ、そう言わずに。謝礼の件ですが、これくらいではいかがです?」

 秘書が電卓に金額を打ち込み、それを青嗣に提示して見せた。にわかに青嗣の顔が険しくなり始める。

 金額が少ないのかと焦った彼は、再び電卓を叩く。引きつった笑みを口に浮かべ、これならどうだと言わんばかりに電卓をかざそうとした時――

 内線の呼び出し音が鳴った。室内の全員がぴくりとする。

 あわあわと秘書が内線ボタンを押すと、スピーカーから男の声が流れた。

「タツキのお嬢様がお見えになっております」

「なに!?」

 内藤は飛び上がるように立ち上がった。

 対する傲乃兄弟は怪訝な顔を見合わせた。

「タツキって……」

 青嗣はすぐに環子の顔を思い浮かべた。二人の弟も同じようで、顔が強張っている。

 

 ここに堂々と環子が訪問してくる、この意味するところはなんだろう。

 敵――なのだろうか。

 

 

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「内藤のおじさま、おひさしぶり」

 可愛らしいとみなが感じる笑顔で、少女は部屋に入ってきた内藤を迎えた。

 スエード調の濃い茶のワンピースに、オフベージュのツイードのボレロ姿の少女は、清楚なお嬢様然としている。

 秘書を残し、内藤は一人でやってきた。この相手はかなりデリケートな存在なのだ。

「これはこれは――またきれいになったようだねぇ」

 歓迎しているのと迷惑なのが混在した笑顔を浮かべて、内藤は曖昧な言葉を掛ける。

「今日は、“ジョカ”様のお使いかな?」

「ええ、そう」

 内藤は緊張に顔を強張らせる。

 

 “ジョカ”とは何者なのか。

 

「でね、おじさま。“アレ”の効き目はどう?」

「んん? あれとはなにかな」

「とぼけたりなさらないでね。コレのことよ」

 少女は手の平に納まるくらいの水晶球を差し出して見せた。

「そ、それは! 一体どこから……」

 急に冷や汗を流し、顔色を悪くする内藤を、少女は面白そうに見つめる。

「わたしも“同じモノ”を持っているの」

「二つも同じモノが!?」

「一つだけって聞いていたのかしら?」

「ジンノ殿が“特別なモノ”だと言っていたんだが……」

 小男はきょろきょろとせわしなく視線を動かす。後ろめたい者が採る行動だ。

「あら、ジンノが持ってきたの? そう、困ったわね。さっき偶然見ちゃったんだけど、“コレ”がわたしのクラスメイトの傍にあったのよ」

「く、クラスメイト!?」

「そう、傲乃黒恵。わたしの“友人”なの。知らなかった? おじさま」

「いや、そんな……でも、しかし……ジンノ殿が……」

 内藤の思考は混乱し、顔色はますます悪化の一途。

「実用出来るかどうか分からなかったのよ? お気の毒におじさま、実験に利用されたのね。それなのに一斉に四人も相手にするなんて……」

 気の毒そうに語尾を濁す少女。

 脂汗がにじむ額をぬぐい、内藤はめまぐるしく考えた。自分に都合の良い回答を探すために。

「いやいや、“コレ”の効果はテキメンだ。最初は半信半疑だったんだよ。でも、本当に近づけるだけでぐったりしてしまったんだ」

 少女はちょっと驚いた顔をした。その様子を必死に窺う小男は、卑屈な笑みを浮かべて、少女の次の言葉を待つ。

 彼女は満面の笑みを浮かべた。

「――ステキね」

 どうやら少女の標的と重なってしまったようで、内藤は生きた心地がしなかった。

 この少女は竜樹家の後継者であり、只者ではないことを内藤は知っている。というより、そうだという噂を聞いていた。

 

 竜樹家の当主、通称『女媧(じょか)』と呼ばれる老女は、政財界の闇に絶大な影響力を持つ存在だ。その曾孫の竜樹環子を面と向かって敵に回すと怖ろしい結果が伴うだろう。

 しかし――

 この笑顔なら味方になる、内藤はそう確信した。

 

 愚かな羊は、本当の死神が誰であるか知りもせず。